かも川探検隊第9弾
2007年1月21日

「鴨川の水はどこからきてどこへ行くんだろう?」シリーズ
三川合流地点へ行こう
京都/桂川・宇治川・木津川合流地点

第3回と第8回鴨川探検隊では、鴨川の源流を探しに行きました。
2007年1月は「鴨川の水はどこから来てどこへ行くんだろう」の3回目。子供たちが遊んでいる鴨川と高野川の合流点(通称:三角州)から下流はどうなっているんでしょうか。
今回は、桂川と宇治川そして木津川が合流する「三川合流地点」へ行きました。
京都・出町から「三川合流地点」まで約19km。鴨川から離れないように河川敷を自転車で走りました。
途中には自転車で走りにくい場所がありましたが、全体に良く整備されていて快適に走る事がで
きました。

出発前に、自転車走行で注意することをおしえて頂き目的地目指して出発。

出町を出発

水鶏橋を過ぎ、向こうに見えるのは近鉄鉄橋。子ども達は電車が大好きです。

鳥羽大橋で記念撮影
川下へ行くと、川鵜(かわう)がいました。ちなみに宇治川の鵜飼いの鵜は「海鵜」といって、海に棲む「鵜」です
鵜飼いの話はカッパ研究会
ホームページの目次「活動紹介」の
第22回座談会をご覧下さい。
こちらから。

途中から快適サイクリングロードを走ります。

「鳥羽の大石」

大きな石です。重さ約6トンだそうです。なぜ、ここにあるのでしょう。

場所は龍門堰です。この堰の下流100メートルの川底からでてきたそうです。
看板の説明によると、河原を公園化する「京の川」整備事業の際、水中から出てきたもので
郷土を愛する人たちによって、引き上げられたそうです。
一体何の石か?
一説によれば1662年(寛文2年)5月京都を中心に大地震が発生、そのとき二条城も大被害を受け建物、石垣の修理を行った記述が古文書に記載されている。
 当時、この辺り(下鳥羽三町付近)の鴨川に「鳥羽の港」があり京への要の港として栄えていた。
この大石も二条城の城郭石材として瀬戸内の石切り場から水運で鳥羽の港へ、そしてここで陸揚げされて、修羅などに乗せて陸路二条城へ運ばれるものが、途中何らかの原因で川底に沈み、現在まで川底に眠っていたと考えられます。
二条城の石を調査したところ、石質・寸法・くさび跡「矢穴痕」などが城門の飾り石に使用されているものと、この大石とが大変良く似ていることが判明した。その当時の残石だと言う説が有力です。(赤い服の向こうにうっすらと見えているのが、愛宕山)

鴨川と桂川の合流点
ここで、鴨川の名前がなくなります。
束師橋から

三川合流点に到着

ここで、弁当。
子供たちの弁当はおいしそうです。
今日も、定番のみそ汁。
疲れた体に大変おいしい。

例によって記念撮影!

今回は鴨川から離れないように河川敷を走りました。
移り変わる鴨川の風景が子供たちにはどのように写ったのでしょうか。
あまり、写っていなかったようです・・・が片道約19kmを楽勝で往復出来た事には
4年生も5年生も6年生も大きな達成感を感じたようです。
鴨川探検隊は勉強をする場ではなくて、大人や子どもが鴨川を好きになって楽しく遊ぶ場なのです。
この楽しさは、兄弟で受け継がれていて、小学校を卒業した先輩隊員の弟くんや妹くんたちが参加しています。

みんなの後ろに宇治川。左には木津川。真ん中向こうに某洋酒メーカーの社屋。
その手前を桂川。もう少し下流で三川が合流しています。
達成感を味わった、げんげん元気な子供たちと、げんげん元気なおじさん達。そして、大学生のおねえさん。
鴨川探検隊大成功。